足助への塩の道に敷かれたレール・名鉄三河線【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第16回
足助を目指して力尽きた地-西中金駅跡
やがて左手に高い築堤が見えてきた。あちらは峠越えを経て20パーミルの急勾配で下ってきているのでその高さは当然だろう。ほどなく廃線跡に移って歩く。まだ健在な鉄製の架線柱が並んだ下のレールの間は歩きやすいよう砂利で埋められていて、一休みできる切り株もいくつか置かれている。廃線からすでに13年、遊歩道としての整備が少しずつ始まっているようだ。築堤が徐々に低くなって国道と同じ高さになったあたりで28と2分の1(28.5キロ)を示す距離標(乙標)を過ぎ、西中金駅に着いた。
ホームは木造の駅舎とともに保存されており、豊田市教育委員会の看板によれば、両者ともに登録有形文化財という。平成26年(2014)には国道の歩道拡幅工事に伴って駅舎を2メートルほどホーム側に曳家し、その際に腐った材を取り換えるなどの修繕が行われた。
かつてなら廃線の駅舎などまっ先に取り壊されるのが普通だったが、近年は重要な交通遺産として保存されるものも各地で目立ち、歴史を大切にする文化が少しずつ根付いている証拠かもしれない。屋外のモノはただ維持するだけでも大変なのだが、かつてこの谷間の交通の要衝であったこの駅舎-足助への道は断念したとはいえ、その価値を将来世代に伝えていこうとする貴重な志である。早春の陽はまだ短く、西へ伸びる谷の向こう側に沈みつつあった。
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